親愛なる日本の友へ

To all our beloved Japanese friends
                                        

  2011年3月1日の東日本大震災で未曾有の被害を受けた日本、そして日本の人々へ向けて、『私は日本のここが好き!』(正編・続編)で、 インタビューを受けて下さった方々から温かいエールを頂きました。
 残念ながら連絡のとれない方もいらっしゃいますが、現在、編集部に届いているものをご紹介いたします。
 なお小社では、世界から日本へのエールをまとめた新刊 『私は日本のここが好き! 特別版 〜親愛なる日本の友へ〜』を刊行いたします。

    *下の括弧内はインタビューが収録されている書籍とタイトルです。
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スティーブン・ペイドン(東海大学講師・オーストラリア)

 宮城県から岩手県までの道は、私が今まで日本でしてきた旅の中で一番です。さらに言えば、私が世界を旅してきて、最も良い旅のうちの一つです。何回もあの道をオートバイに乗って通りました。あそこの人々はいつも優しいです。そんな美しい場所が破壊された場所になるなんて、信じられないことだと思います。
 東北の人々の周りにはいつも美しい自然があります。今まで日本に住んできて、日本人の元気と一緒に働く能力は、世界をより良い場所に変えてきていて、私はいつも感心していました。私は、その元気で、この悲しい破壊から再び元の日本を取り戻すことを信じています。日本の人々は簡単にあきらめません。それが、私が日本から学んだことです。

  (ツーリング天国と大好きな温泉 『続 私は日本のここが好き!』178頁)
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姚南(ようなん)(大学非常勤講師・中国<日本に帰化>)

   被災された方々のことを思うととても心痛みます…。日本に長く住んでいる私にとって他人事とは思えません。日本は既にわが故郷のような存在で、私たち多くの外国人の生活基盤と心の拠り所になっています。日本の友人もたくさんいますので、もう日本との繋がりを切ることはできません。だから日本の復興は日本人だけのことでなく、日本で生活を送っている私たち外国人のことでもあります。日本の国民の一員として日本人と一心同体で復興へと向かうべきだと思っております。

  (世界一のサービス 『私は日本のここが好き!』28頁)
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アルフォンス・デーケン(司祭・上智大学名誉教授・ドイツ)

 日本は再生する力のある国、世界は見ている。

  (己の良心に従って生きた少年、ルドヴィコ・茨木
    『続 私は日本のここが好き!』102頁)
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加藤マヌエル(神父・ペルー)

 三月十一日の午後二時四十六分に起こりました東日本の大地震、それにともなう大津波と福島の原発事故は、正直に申し上げまして、とてもショックでした。
 ペルーは日本より時差の関係で十四時間遅れていますが、十一日の新聞の朝刊は、すべての新聞がこの痛ましい出来事を大々的に報道していました。それはこの日だけでなく、二ヶ月以上も毎日のように報道されていたのです。普段は、日本に関するニュースはあまりありませんから、それだけ大きな災害であったことを物語っていると思います。
 数日後、友人から被害状況の写真がたくさん載っている『緊急復刊アサヒグラフ』を受け取りました。胸を強くさされるような痛ましい写真がたくさん写っていました。また、その後、日本から帰国された方が、この大震災のことが掲載された週刊誌を十冊も持ってこられたので、すべてに目を通しましたが、特に津波で流されている車や船を見て、津波の力という自然の脅威に圧倒されました。報道されていましたのが、福島の原発事故。特に、大地震とその後の津波で破壊された原子炉の炉心温度を下げるために、毎日何十トンの海水を流し、そのために放射能で汚染された水が海に流れている。この地域の海水は放射能で汚染され危険だと書かれているのが印象に残っています。
 このような状況のなかでも、日本人が物を盗まず、むしろ相手のことを優先的に考えて、自分に必要以外のものは買わなかったと、報道されていました。家庭と学校で受けたすばらしい教育の一環も知ることができました。
 でも、すべてをなくし、慣れない仮設住宅で避難生活を送っていれば、いくら精神的に強くても、心理的に何の影響も受けない訳はありません。むしろ、気が立ったり、例えば、食料がこないと食ってかかるような心理状態に陥る可能性は十分あると思います。新聞にも、このことが書かれていました。特に子供たちには精神療法士などの治療が必要になるだろうとも書いてありましたが、まさにその通りだと思います。
 また、このようなときに神様の力を仰ぐ必要もあります。小さい力かもしれませんが、わたくしも毎日、この大地震と津波、福島原発事故の犠牲者の方々のためにお祈りをしております。
 今、リマ市に住んでいる日系人たちは、「頑張れ日本」をモットーに、被災者のために義援金活動をしております。  私も、被災地の方々だけではなく、全国の日本人の皆さまに頑張ってくださいと強く訴えたいです。この様な打撃的な出来事のあとに、また必ず良いすばらしい時が訪れてくると私は強く信じています。そして、元気に強い意志を持って復興に頑張ってくれるように願っております。
 この復興で私が思い出すのは、昭和三十年に私が初めて日本の地を踏んだときのことです。戦後十年目でしたが、どこを見ても戦争で爆撃された跡は残っていませんでした。ただ物がなく貧しかっただけです。そのとき、私の心に強く印象づけられたのは、そのような状況のなかでも、何も文句も言わず、黙々と、日本人の皆さまが働いていた姿です。その結果、十四年後、日本で開催されたオリンピック大会を機に、日本は発展の一途をたどり経済大国になりました。
   ある新聞に、東日本も十年で再建されると書いてありました。私もこれを信じております!
 日本の皆さま、どうぞ頑張って下さい!

  (母国ペルーと祖国日本 『私は日本のここが好き!』102頁)
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李仲ト(リ・チュウカイ)(IT企業経営者・中国)

 3・11の大震災には、本当に驚きました。来日間もない妻は、あまりの恐ろしさに外に飛び出し。近所の光が丘公園に避難しました。会社にいた私は、駒込駅から東武東上線の成増駅まで歩き帰宅しましたが、日本人の整然とした歩き方やマナーの良さや落ち着いた行動には、大変教えられました。中国では、きっと大混乱が起こったでしょう。学ぶべきこと多い大震災です。

  (礼節を説く人・守る人 『続 私は日本のここが好き!』79頁)
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ロイック・レトレ(ネスプレッソ株式会社社長・フランス)

 東北地方太平洋沖地震で被災された皆様とそのご家族、そしてすべての日本人の皆様に心よりお見舞申し上げます。 わたしは日本は必ず復興すると信じています。なぜならこの国は、強靱な産業に加えて、津波や地震ではけっして壊されない豊かな 資源を持っているからです。それは日本の人々です。日本人という復興の要が日本にはあるのです。
 わたくしの他にも、日本に残る選択をした外国人がたくさんいます。われわれを引き留めたのは、日本への愛と希望です。 われわれが日本の再生と復興を信じているのと同じだけ、日本の人々もそれを信じて立ち向かっていくと思っているからです。 この思いでわれわれはひとつであり、いま一緒に、この国の復興に必要な変化の歩みを進めていきたいと思っています。

  (世界人になる資質を持った人々 『続 私は日本のここが好き!』237頁)
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宋静●(スン・チンウェン、●は雨冠に文)(元留学生・中国)

 2011年3月11日の2時46分ごろ、三陸沖を震源にする日本国内観測史上最大のマグニチュード9.0の地震が発生した。日本は地震が多発する国であることは、多分誰でも知っている事実だと思う。 しかし、今度のようにマグニチュード9.0の地震は聞いただけで恐怖を感じる。だから、このニュースを聞いてとても驚いた。
 私は、中国の大学を出て、2年ほど働いた後、大学で専攻した日本語を本番で磨きをかけたいと思って留学生として憧れの日本にやって来た。 それが、来日したばかりの、すなわち2006年10月上旬のころ、私は早くも日本の地震を経験した。
 ある日の夜、寝ている間にベッドが少し揺れていると感じ、すぐに目が覚めた。周りの家具がガチャガチャと音をたて、条件反射で起きあがって ベッドから離れたが、その後はどうすればいいのか全くわからず立ちすくんでしまった。数秒から数十秒くらいの後に、周りは静寂に戻ったが、 私は心臓が飛び出さんばかりに落ち着かなかった。こんなことは初体験だった。それから以降、何十回となく地震を経験するうちに、最初の ドキドキから揺れていても平気でいられるようになっていった、しかし、今度のような強い地震は想像したこともなかった。
 日本の人々にとって、地震は日常茶飯事のようで、もう慣れているかもしれないが、今回の東日本大震災ほどの強震を経験した人は少ないだろう。 この災難を知ったとき、私はちょうど用事でシンガポールに滞在していた。ホテルのテレビからアメリカのABCや日本のNHKの番組で 地震直後の震災地の様子を見ることができた。岩手県地域のがれきを巻き込んだ津波に襲われた惨状が生々しく放送されていた。後に、私が よく知っている東京の映像も入ってきた。映っていたのは確かに、よく行ったことのある新宿の街だった。
 たくさんの人々がバスターミナルに長い行列で並んでいる映像だった。地震の直後の様子を目の当たりにして、怖いと感じた。高層ビルから 降りて避難してくる人々。大勢の人の波となって、しかし混乱状態でなく、互いに話すでもなく、それぞれがただ情況を推し量りながら、何かを 待っているようだった。しかし、かえって日本から遠く離れている私には、そうした光景は目を覆いたくなるほど悲しく感じられた。 胸を痛め、混乱する自分を知った。身をもって震災を経験できない私にとって、日本の人々の冷静な姿を見て、驚愕と同時に愛おしく感じずには いられなかった。
 その後、ほぼ毎日、テレビとパソコンを離れられず、私はずっと東日本大震災のことに気が取られるようになっていた。帰国せざるを得ない 事情があって、日本には3年間しか滞在できなかったが、日本での生活を通して私は日本の空気を体得し、押さえきれない懐かしさが胸いっぱいに こみ上げてくる。こんな私のような中国人から日本の人々へ応援のメッセージを心を込めて送りたい。ガンバレ、日本!

  (信頼関係を大切にする日本社会 『続 私は日本のここが好き!』196頁)
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ジュリアン・ヴィグ(大学院生・フランス)

 あなたの価値ある国を復興させるべく、戦い続けて下さい。あなたたちの勇気は、日本でも、海外でも、尊敬の念を引きおこしています。 私はあなたたちに、私の心からの想いとはげましを送ります。そして、間もなくこの両腕で、援助のための何かを試みるつもりです。では、イシノマキで!

  (アニメの国は安全な国だった 『続 私は日本のここが好き!』151頁)
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譚君怡(大学院生・台湾)

 地震の後、一つになっている日本を見てとても感動しています。
 日本はきっとすぐ復興するでしょう。台湾の人々はとても日本を応援しており、
日本の皆様と一緒にいますので、ぜひ頑張ってください。

  (『おしん』が教えてくれた憧れの国 『続 私は日本のここが好き!』145頁)
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ホラス・ノリブン(真珠養殖事業経営・インドネシア)

 祖国のスマトラ沖地震では、日本の皆さんに慰められ、励まされました。
 3月11日、私は帰宅難民になりました。避難先のテレビで見た被災地の映像は、筆舌に尽くしがたい悲惨なものでした。
 津波の恐怖を一番知っている被災地の漁師の再建への意欲、そして戦争体験者の「日本は何も無くなったところから、こうして立ち上がったんだから。今度ももう一度がんばって造ればいい。造るよ、もう一回」 という言葉に、私は日本人の辛抱強さ、東北人のねばり強さを感じました。「一緒にがんばろう日本! 私の第二のふるさと!」

  (真珠の故郷日本で出会った人たち 『続 私は日本のここが好き!』56頁)
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ヘルムト・ギーブ(貿易業・日本ハプスブルグ協会事務局長・オーストリア)

 日本は精神的強さがあり、逆境をはね返し復興するでしょう。大好きな日本の立ち直りを心から願っています。
 この機会にいろいろ見直すのもいいでしょう。原発には反対です。オーストリアも中止しています。

  (モスクワ・ナホトカ経由で来た日本 『私は日本のここが好き!』199頁)
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モハメッド・アリ・サダト・レザイ(レストラン経営者・イラン)

 国籍はイランだけれど18年日本に住んで、もう私の思いは日本にある。今度みたいに皆が食べ物に困ったとき、私は食べ物を提供することができる。食べ物屋として皆の役に立ちたいし、自分の務めだと思っているよ。だから私はこの仕事を離れないで何があっても日本に、この地に居続けようと思っています。

  (助けてくれた日本人のみんなに感謝 『続 私は日本のここが好き!』24頁)
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ドロシー・ブリトン(レィディ・バウチャー)(エッセイスト・翻訳家・イギリス)

 東北地方の被災者に、私は強い共感を感じます。
 私自身も、関東大震災の被災者で、叔母を失ったからなのです。

    (日本は私の心の故郷 『私は日本のここが好き!』150頁)
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中方健治(会社員・中国出身、日本に帰化)

  今回の大震災では、日本人の素養の高さを世界は知りました。危機や難局に直面したときの日本人の冷静さ、謙譲の精神は見事であり、敬服に値します。
  中国で同様の情況が起きたら、人々はパニックになり、我先にと逃げ出す者が続出するでしょう。現に、3月11日以降、早々と日本を出国した中国人は少なくありませんでした。日本社会のように人々が冷静に事に当たり、自分より他人を先に逃がすような振る舞いは私たちには到底できません。

  (国民の資質が高い日本 『私は日本のここが好き!』70頁)
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エー・ウィッキー(島根県立大学客員教授・スリランカ)

 私たちは、みなさんのことを一瞬もわすれていません。
 みなさんも気を落とさずに。
 私の大好きな日本に早く戻れるよう一緒に頑張っていきましょう。

  (身も心も日本人にしてくれた人たち 『続 私は日本のここが好き!』18頁)
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ジギ・ジーベルト(オーストリア)

 私をやさしく迎えてくれた全ての日本の友達は、無事かしら。
 安否がわかったら、どうぞすぐ教えてちょうだい。

  (日本のリーダーはチャーミング 『続 私は日本のここが好き!』73頁)
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甑明子カテリーナ(ポルトガル語相談員・ブラジル)

 日本人は強い心の持ち主。我慢強い、でも、我慢しすぎだよ! もっとあまえて、迷惑だってかけてかまいません。逆にかけてほしいです。
 絶望しないでください。つらいかもしれないけど、絶望しないで。誰かがあなたを必要としている!
 頑張れる日本が好き! 日本が復興するまで一緒に頑張っていくからね。

    (ひとりひとりが規則を守る国 『私は日本のここが好き!』141頁)
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エルンスト・クラース(赤十字ベルリン病院外科教授・ドイツ)

 大切な友人である君たちを危険から守らなければならない。
 できることを言ってくれ、何か手伝えることは無いか。

    (日本の老博士からの贈り物 『私は日本のここが好き!』186頁)
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ローレル・ラスプリカ・ロッド(大学教授・アメリカ)

 日本の悲惨な情況をずっとニュースで見ていて、とても心配しています。あなたとあなたの家族が無事で元気でいることを祈っています。
怪我をした方や亡くなった方々のために祈っています。
そして、人生が、文字通り、ひっくりかえってしまった方々のために、私たちは祈っています。
たった今、コンピュータで見ているNHKのニュースで、今回の地震は、過去1200年で最悪と報じています。どうぞお元気で。オダイジニ!

 (生涯の師としての日本文学 『続 私は日本のここが好き!』220頁)
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アンニャ・ホップ(新潟大学教育開発研究センター助教授・ドイツ)

 母国のドイツから帰国を強く求めるけれど、私はこの愛する人の居る美しい国に、できることをするために、留まる。

   (「情」にひかれて 『私は日本のここが好き!』181頁)
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田丸メリー・ルイス(元麗澤大学講師・アメリカ)

 3月11日、私は川越にいました。JRで流山市の自宅へ向かったら、東川口駅で地震。しばらく車内にいたら、すべての電車がもう動かないというアナウンス。
 駅の外へ出たけれど、人混みの中でどうしたらいいのかわからない。困っていると「大丈夫ですか?」という声がしたのです。振り向くと、中年の女性と、その後ろに年配の女性。わけを話すと、「私の家にお泊まりになりませんか? ここから一駅歩けばいいのですから」と、中年の女性。
 もう一人の女性にも、彼女は声をかけたのだそうです。まったく知らない女性二人を連れて、彼女は歩き出しました。途中のコンビニで食料を買って、彼女の家に着いたのは、夜の9時でした。家には彼女の母と娘がいました。
 知らない帰宅困難者たちを家に泊める――私自身には到底できない親切です。強く感動した、思い出に残る一夜でした。

   (自分の仕事に誇りを持つ日本人 『私は日本のここが好き!』137頁)
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ヨゼフ・ピタウ(カトリック大司教・元上智大学学長・イタリア)

  私は大震災が起こる前の3月2日にS.J.ハウスというイエズ会の修道院からロヨラハウスという修道院へ転居したばかりでした。
  2004年ローマでの仕事を終え、24年間留守にしておりました日本へ帰ってまいりました。そして完全に引退の身となり、ロヨラハウスで神様に呼ばれる日まで過ごすことになりました。
 日本は私を育ててくれた国であり、生まれ育った母国であるイタリア同様、いやそれ以上の思いを持った故郷であります。
 昭和27年初めて日本へ参りましたときは未だ戦後の復興をしている最中という印象でした。物は不足しており、他人様の物はとらないまでも自分のものをとられないようにとの意識が強くありました。そのような中で日本は教育に力を入れ、どこへ行っても学校がその地方で一番立派な建物でした。当時はまだ未熟だった若者でしたが、この国はきっと立派になるとの強い印象を抱き夢を膨らませたことを思い出します。
 ハーバード大学に留学して日本に帰りました昭和38年からは上智大学で働きました。この時に日本の高度成長を目の当たりにしました。昭和56年からローマで働き、平成16年に日本へ帰って参りました。この間の日本の経済発展は目覚ましく、世界でアメリカに次ぐ経済大国として世界中の注目を集めておりました。大学を卒業したばかりの若者が後進国へ働きに行き、王様のような生活をしているとの批判が起こった時代です。そして私が日本へ帰ってまいりました時にはバブルがはじけて子供たちのいじめや自殺の問題が起こっておりました。
 
 この3月11日を境に日本ではバブルの影響から開放されたように感じました。私は今、視力の問題等で、新聞・雑誌・本等、文字を読むことが出来なくなり、卒業生達が交替でロヨラハウスを訪ねて下さり、新聞記事などを読んでくださっております。その範囲での情報ではありますが、日本の皆様が被災された方々も、また被災されなかった方々もキリスト教的な心で言動なさっていると感じています。自分のためではなく、どなたかの役に立ちたいと願い、困っている方々、弱い方々を手伝い、そしてその手伝いを受けられる方も感謝をして喜んでいらっしゃる姿が今の日本にはあります。私が故郷に選んだ日本はすばらしい国です。神様から頂いた恵に感謝している毎日です。そして神様のお恵みが日本と日本の皆様に豊かに注がれますよう祈っています。
 
   (開かれた心と向上心 『私は日本のここが好き!』146頁)
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フォルケ・ブリンクマン(医師・ドイツ)
ヨヘン・ブリンクマン(コンピュータ技師・ドイツ)


 私達の日本の家族のこと、どれだけ心配か、毎晩寝られないよ。
あなた方、家族全員ドイツへ移住していらっしゃい。着の身着のままでいいから。

  (わたしの二人の仏さま 『続 私は日本のここが好き!』120頁)
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童澄教(上海交通大学教授・中国出身)

  私は理工系の研究者ですが、日本の大学との共同研究や企業での研修で、日本に数年間滞在したことがあります。そのため、日本の人々と日本社会について理解しているつもりです。今回の大震災と原発事故は大変に不幸な出来事ですが、日本が着実に復活することは私には容易に予測できます。
  理由は、国際的に評価の高い特許など科学技術の部厚い蓄積があるだけでなく、科学技術を開発できる元となっている国民一人ひとりの潜在能力・原動力が、例えば私たち中国人と比べて相当に奥行きが深く、二、三十年は水を開けられていると私は感じているからです。この点はあまり意識されていないようですが、そうした人間力の質と量いかんは国の復興にとって決定的に大切です。
  大震災で壊れたのは港湾や道路や家屋などハードの器であって、人間力というソフトは健在ですから、日本は必ず着々と復活します。潜在能力による復活力を止めることはできません。

  (殻は固いが実は柔らかい日本人の心 『私は日本のここが好き!』66頁)
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エドナ・リード(アート・コーディネーター・イギリス)

 被災地の惨状をテレビで見て、胸がつぶれる思いです。あの中の一家族くらい、
私の家へ受け入れられたらと思います。私は日本語はしゃべれないけれど、
どうにかしてあげたい気持ちでいっぱいです。元気を出してください。

  (スパイにされた私の父 『続 私は日本のここが好き!』108頁)
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デビット・ハウエンスタイン(英会話教師・アメリカ)

 3月に起こった3つの惨事の後、地震、津波、原発の緊急事態、そしてそれを取りまき続ける苦しみや憂いの中で、絶望して呆然となり、結果的に何もできないようになってしまうのはたやすい事です。しかしこの悲劇には、私達の生き方に潤い与える「ちから」があるという側面もあります。
 例えば何百万人もの心優しい人々による前代未聞の金銭と物資の寄付活動が続いています。また福島原発作業員の方々の英雄的な――自分の命も顧みず、他人の安心安全を願う――行動があります。あるいは困っている人をできる限りボランティアで助けたいと願う大多数の方々や救助隊員がいます。まさにこういう時、影響を受けている人達の痛みを感じる時に、私達の中の本当の人間が出てくるのです。この苦しみは「もっと人を思いやり、人に与える生き方」というものに形を変えます。問題はこの心を日常生活の中でいかに保つかということです。
 この津波と東北の方々の苦しみを初めて見たときのショックを思い出してください。胸が苦しくなった事も、できることなら何でもやろうと思った事も覚えておいてください。それを常に持っていて寄り添っていてください。それを糧に、どんなに小さくても、今でなくても何か行動して下さい。そんな心があれば、より良い社会――分かち合う事や思いやる事が普通の社会――を作る力になります。 この惨事は日本に空しさを感じさせるものですが、もし私達がその道を選べば、誰もが思いやりの心のタネを育て、被災者やそのほかの天災や人災で苦しむ人々を助ける行動へと歩ませることができます。
 私達がこの女性の言の葉を共に歩んでいけますように……。

 「私が大きくなったら、自分の子どもや孫に『おばあちゃんが若かった頃、日本では大地震があって、それをキッカケに世界が一つになったの。そして、皆お互いを支えるためにとってもがんばって働いたのよ』と話したいです。 こんな話ができるように、私は一生懸命立て直すために働きたいです。」

 (衝撃的だった被爆者の言葉『私は日本のここが好き!』132頁)
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ピーター・ミルワード(神父・上智大学名誉教授・イギリス)

最近の東北地方の災害は、日本人の忍耐力と他人への思いやりを、世界中の人々へ何と見事に伝えたことか!

  (東洋のイギリス、日本 『続 私は日本のここが好き!』260頁)
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 ドロシー・ブリトン(レィディ・バウチャー)(エッセイスト・翻訳家・イギリス)

  私は海に面した家に住んでいます。ベランダに出るガラス戸を引き開けると、
海からの風が吹き込み、音も日によって違います。さざ波がひたひたと打ちよせるやさしい声。そして波の高い日は、びょうびょうと。幼い頃の私は、海を人間のように感じていました。海はいつもやさしく話して、私を包んでくれる。海は友だち、いつか海と結婚するのと…。
 でも海は、恐ろしい顔ももっているのですね。東北の皆様、どうぞお大事に。

  (秩父殿下の思い出―そして海 『続 私は日本のここが好き!』133頁)
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